日別: 2020年2月17日

選択の余地をどこに置く

選択の余地を与えられるということは

すなわち梯子の踏ざんに片足をかけるようなものである

人は常に選択の岐路に立たされている

選択の余地があるということは幸せなことだ

いまこの時も世界のどこかで選択の自由もなく

意思を持たぬ物のごとく扱われ

生きる希望を失くしている人が少なくない

選択できるということは

自分が自由の身であることの一つの証明だと言えるだろう

しかし選択=自由ではない

時には二者択一を他から強いられることがあるからだ

それは自由とは呼べない

自由は選択の「余地」の中にあると言える

余地=自由なのだ

選択の岐路に立たされた時

決めるのはAかBか、ということだけではない

そこには「選択をするのか否か」という

別の選択肢も暗に含まれているということ

それが「余地」

余地はついぞ忘れられがちである

しかし余地には不便なことに

ひとつ忘れてはならない要素が含まれている

「選択をしない」というその選択の余地の特異性だ

自分が責任を問われない立場であれば

そもそも選択を迫られること自体が

間違いだということに早々に気付かねばならぬ

その場合は、責任の所在が誰にあるかを見極め

他を尋ねるよう矛先を変えねばならぬ

自由を見誤ってはいけない

「自由」は何をやっても良いという特権ではない

選択の余地、自由とは選択に付随する「物」

いわば「おまけ」

己が責任者ではなく

選択する立場でないのであれば

そもそも選択の「余地」すら存在しえないのだから

その刹那

「他をお尋ねなさい」という他ないのである

そこに選択権は存在しない

ここの判断を見誤って

刹那に己が選択するのは一種の奢りであり

大きな間違いだと言える

選択の岐路に立たされた時

それは己が責任を負う立場であるということの自覚

それに伴う結果をも自ら受け入れるということの承認

そう考えると

選択をする立場にあるのにしないという選択は

成り行き任せの

いわば「賭け」「ギャンブル」

AかBかの選択より

成り行きに任せた方が上手くいくという公算

よほどの根拠がなければ

この選択はまずすべきではない

選択の余地

「余地」とはそれほど煩雑なものだ

だから人は日々選択していく中で

自ずと慎重にならざるを得ない

成功に導く選択のできる器量

選択の余地に相対した時の先見性

そういったものが必然と求められるのだ

だが悲観的になる必要はない

人が選択の岐路に立たされた時

チャンスは必ずこの三択のどちらか先に隠されている

こういうことを踏まえれば

選択の余地を与えられるということは

けっして千載一遇などではなく

常にチャンスの機会を与えられている

この上ない特権なのである

世の上に立つ者たち

今日、彼らがどれほどの特権を享受しているか想像してみるといい

選択権を得るということ

責任を負うということ

この諸刃の剣をどう操るか

間違えれば梯子の踏ざんから足を踏み外し

どこまで落ちていくか分からない

実は選択の余地とはそれほどまでに危ういものなのである

選択の余地を心して担うのか

あえて他人任せにするのか

はてさて、あなたは選択の余地をどこに置く